- Part ② -
そうなんですよね、目立ちたいけどアピールできない。よかったら聴いてください、みたいな(笑)。本当はすごく聴いてもらいたいのに。
そうそう、そういうところがあるかもしれない(笑)。
つくるときは、世界は自分のものだ!ぐらいの気持ちでいます。そのときだけは自信を持って、誰のことも何も気にせずにつくっています。
ヘタなんですよね、そこが。
結局、どうやったらいちばん届くかなっていうことだと思うんですよね。感情が高ぶっていることは多々あって、これをどうやって曲に閉じ込めようかと考えるんです。たとえば「飾りのない明日」というアルバム(2016)をつくっていたときは、ずっと半泣きだったんです。そのぐらい高ぶっていることもあって。
裏側から言葉を探すようなことが、自分では楽しいのかもしれないです。曲をつくるときに、無音だというのも理由のひとつかも。楽器を弾きながらだと、わーっと感情のままのサウンドができそうですけど、その想いを歌詞に閉じ込めるために無音の状態でつくるので、本当の感情が見えないものが多いのかもしれません。
あんまり必要ないかなって感じなのかも、そういう描写は。心のほう、心象風景のほうが大事かな。具体的な描写で物語を見せるやり方にも憧れはあるんですけど、はっきり描かないほうが聴く人それぞれが好きな景色の中で聴けるんじゃないかなって思うんですよね。
言い切るのは好きじゃないんですよね。自分の中では言い切っていることもあるんですけど、そんなに日々、はっきり答えが出ることばかりじゃないですよね。そういうぼんやりしたところの曲があってもいいよなぁって。私もそういう風に音楽を聴いてきましたしね。悲しいとか嬉しいとかじゃないとき、感情が際立っていないときに聴いて馴染むものがいい。日常を切り取るって、そういうことなのかなって思います。自分で歌っているときも、すごく悲しくなったり、ああ幸せだなって感じたりして……自分の曲なのになんだか不思議ですよね(笑)。
そうなんです。自分が自分の曲にほだされたり、寄りかかったり、慰められたりしてるんだと思うんですよね。なんとなくですけど、こういう曲が世の中にあってほしいと思うもの、自分が好きだと思う音楽を、自分で生み出している気がするんです。こういう音楽が聴きたい、こういう風に聴きたいっていうのを再現してるのかなって。
<次回:11月28日(木)20:00 公開>
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